2011年5月27日

あなけもん


けものが かけぬけた。
みんなの中に想定外の大きな穴があいた。 
でも、その実体は いまだになぞだらけ。
知っていると思っていたことは、本当は何も知らない。
見たと思ったことは、ホントは夢だったのかもしれない。
あの話も ウソだったのかもしれない。
だったら いいのにナ。





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その昔、阪神大震災の後、祖母のお葬式で電車のない神戸の町を歩きました。ビルも地面も電柱も人も、何が真っ直ぐで何が曲がってるのか分からない、あったはずの風景が失われる、その現実はとても受け入れ難いものでした。当たり前と思ってた事はこんなにも脆かったのかと。

今回も、繰り返される災害の映像で、被害に遭われた方の無念さを思うと、猛烈な悔しさと哀しさがこみ上げて、泣いてばかりでした。そして、その後の原発事故では、テレビとネットの温度差が激しくて何がホントでウソか分からなくて、ネットの情報を深く深く探って、その恐怖と不安な情報を読んでは、逆に安心するとゆうような変な精神状態。日々変化する原発と政治の状況を、世界中が息をのんで見つめ、ネットの意見も割れ、ヒステリックに変化していく。しかし一方で、刻々と「汚染」されてるらしいこの街は、一見すれば、以前と変わらず日常の暮らしが淡々と続いている。陽は輝き空も樹々も青く、窓を開ければ気持ちいい風を感じて、とてもここに「放射能」が混在しているとは信じられない。テレビを見ていても、韓流ドラマとバラエティが流れている。ただ一点、テレビも普段の会話でも、できるだけ「そこ」に触れないような気遣いがあることで全体のトーンがうわついている。

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非常時の絵描きなんてのは、何の役にも立たない、無力感でいっぱいになる。
そんな時仕事の資料で、昭和初期の写真集を見ました。戦後の日本と題された写真の数々には、ほんとにこれ70年位前の事?と疑うくらいの焼け野原と凄まじい貧しさと同時に人々のたくましさが写し取られていました。

これなんだなあと思いました。
このカメラマンもおそらく自分も必死に生きながら、目の前で泣きじゃくる子供にパンも与える事も出来なかったかもしれない。ただこの状況を残すこと。それが数十年後の私に届いている。

絵描きは写真に写らない心象風景なら、残せることは出来るかもしれない。
被災地からではなく、メッセージがあるわけでもなく、
ただこの東京の、今の、私の、受け入れ難さも含めた
心の念写を描きとめておくことにしました。

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描きたかったのは、きれいな着色料のお菓子みたいな風景。
普通のようでどこか違う、でも確実に何かが抜け落ちて
少し狂ってしまった、非日常な日常。

知っていると思っていることは、本当には何も知らない。
そんな夢のような現実。
たまらなく愛おしい何か。

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あなけもんの展示は明日迄となりました。