2009年11月17日

キリイシ

 編集とは、こうゆうことか、と朧げ乍ら体感させてもらった日々でした。
 共通の友人を亡くした縁で仲良くなった私たちが、物書きであったその友人の遺作集をと思い立って、約一年。音楽家、絵描き、ライター、デザイナー、、畑は近そうでも誰一人本の出版なんてしたことない。

 どうゆう本にするか、そのデータはどうするか、資金は、作業は、告知は、流通は、、等々、次々に押し寄せる難問に、まあ〜御丁寧に全てブチあたり、何度も話し合い、やっとこどうにか先日ついにアサヒ精版さんに入稿できました。

 遺品のmacより膨大な文章群をCDに取り出し、その中からどれを載せるか決めて、次に掲載元の出版社編集部を直接訪ね許可を頂き、当時の掲載誌をコピーして整理する。そしてmacデータを、掲載誌に合わせて皆で一字一字、校正していく。小説4本、エッセイや音楽レビュー数十本、総308ページ分。

 その途上にて、エクセルなんか使たことないとゆう御目出度い職業な私たちが、四苦八苦して表を作り、そこに100を超す文章に番号を割り振り、順番通りに整理して、「校正済み」とかチェックしていく。いやホンマ地道な作業を夏から秋、皆でやり抜き、同時に資金為の予約とご寄付のお願いを送ったりするだけでも、テンヤワンヤ…。
 日頃そのような事務作業に慣れてる方からしたら、何が?ゆうかんじでしょうけど、私なんかはその決定的な欠落を痛感致しました。

そんな見慣れぬぎっしり書き込まれたエクセル表が、だんだん編み物みたいに見えてきて…。そこで冒頭の「編集ってこうゆうことか〜」と痛感の胸と目に沁みた訳でございます。


 思えば全くおのおのの個人的で純然たる想いしかなかったところから、こうして物質としての形と重みを持って、この世に降りて来た彼女の本。
また散らばって会いたい人に会いにいかはるんやなあ〜。
美人で破天荒で知的で……人生の天才「キリイシ」。
ほんま、ええ経験させてもろたわ、ありがとう。

切石智子著作制作blog

脂肪細胞のつぶやき


 近年の我が肉体の、目に余る増幅傾向対策として、試験的に巷の御婦人にも効果の世評高いレコーディングダイエット、すなわち食事日記なるものを、これまた巷で人気のTwitter上にて、犬もしてみむとするなり。。。そしたらたちどころに明白になる、これ間食、即ち甘いモンの量の多さたるや!一般的標準値を遥かに上回るその糖分の行方…、希望的観測とすれば作品のアイデアの源泉となるべく脳細胞の栄養となって頂きたいところであるが、おそらくその前に大半は脂肪細胞に貯蔵され、それぞれ無脳な細胞が妄想を膨らまし、結果的に中年的肉体フォルムを型作る材料になっているとおもはれる…。そう中年太り、ゆわれんでもわかっとりま。

 そんな我がTwitter食事日記では、毎食毎間食、そのようなダラしない間食日記がつぶやかれている。朝飯と昼飯の間のおやつに、豆菓子一袋だの、仕事の御供に焼き芋一本やら、夕方のおやつとして御飯一杯だの…四六時中喰い続ける醜態が。仕事の合間に摂る無駄な糖分は正しく脳に到達せぬまま変質し、同じよふに無駄と汚れが多く栄養のない駄菓子のような絵を描かせるのである。

 いや、まだ始ったばかり。いずれは、悪習慣を文字化することで再自覚し、且つネット界に晒されるその恥ずかしさ阿呆らしさをブレーキに自己抑制が促され、結果増量抑制、減量へと、いつの日か繋がるはず。はずであるが、なぜか最近は、その淡々と並ぶ阿呆食コレクシオンが、なんだか面白くなってきて、誰に宛てるでもなく笑われる愉しみを感じてきている。大いなる逆効果の悪寒。
(絵は、野性時代コラム用に描かせてもらったものです。

2009年11月2日

左脳と右脳

 自己の深い場所にある青い小部屋から、憂いだ瞳で見つめる風景を、そのまま念写したような画。吉田尚令さんはいつも絵に真摯に向き合っていて、いつも御会いすると絵描き同志の真剣談義になります。
 そのひとつで、右脳で描いているか左脳か、とゆう話もありました。私は挿絵仕事では、読解力(誤読多し!)やページ内バランスや職人的手順や経験法則に則り、主に左脳で描いてる感じ。一方、展覧会で一枚ものを描くときは、大げさやけど別時空間とアクセスして写し取っている感じがする。
 でも、これが右脳かと云われると難しいところで、うーん、そういえばと思いあたった先は、右脳全開時は絵ではなく、一人でただ出鱈目に鍵盤を弾いている時だった。こうゆうときは、周りの事物も自分の輪郭すら曖昧になり、法則や判断の物差しもなくなり、ただただ匂いのような気分だけが次々漂っては、消えていく。んー、手が先導していくとゆう点では、その辺りの写真や字を、闇雲模写してくのに少しばかりは似てるか。
 それにしても、絵描きの多くは、音楽家に憧れてはいると思う。