2009年7月6日

切石智子著作集

18才。
京都の嵯峨の美術学校に入学したての私は、ショックを感じてました。
そのわけは…。どんなに数学や体育が赤点であろうと、どんなに冴えない容貌であろうと、小中高と美術だけはクラスでほぼ一番を死守してきた事が唯一の光だった私。
な のに、いざ美術学校ではそんな子は普通で、中には学年上位みたいな子もいてたもんやから…。そしてもうひとつ、勝手に美術系とゆうのは「地味で変な子」の 解放区と思い込んでたのに、クラスには一般的美人ギャルでムッサ絵上手いとか、派手で変でセンスグーとかゆう子がワンサカ混じっていたからなのです。

嗚呼。
こ の学校で、唯一の長所もなく、ただ地味にただ暗く、ワテはこれから生き延びていかなあかんのんか…。うなだれる帰りの阪急電車。その向かいの席に、派手系 女子の輪の真ん中で、一人あらわな姿で寝てるのはクラスの目立ってた女の子…。派手で美人で超個性的で社交的で絵も上手い、私からしたらロイヤルストレー トフラッシュ切石智子さん?

で も共通の友人や映画研究部やなにかしらの縁で、すぐ彼女の大勢の友達の一人になりました。彼女の周りには学年も学科も先生も区別なくいつも大勢の友達がいました。そのうち
学園祭で委員長となって、強烈な仮装大会で嵐山を驚かせたり、分厚いクロッキー帖を一冊描き埋めるとゆう夏休みの宿題で、焦っていた私たちの為に、ヌードデッサン大会させてくれたり…。クラスどころか、学校で一番目立つような女の子でした。

かと思えば、当時京都で大人気だったバンドを一緒にファンとして見に行った、その翌日にはそのバンドの方と友達になり、次 には完全にその方々の仲間となり、学校で借りたビデオでプロモーションビデオを撮り、お付き合いもし…。卒業後は、切り絵師として関西のテレビや雑誌に出て、アラーキーのモデルになって皆をビックリさせたまま、すぐ東京へ。それから は、途切れ途切れに伝え聞く噂では、どっかの大陸一人旅とか、スペインで闘牛士と付き合ってるとか、超有名な人と友達にとか、バンドをいっしょにとか…。またサルサにハ マってダンス習ってると聞いた一年後には、優勝しキューバに国賓で招かれた、とかアルゼンチンの音楽家やダンサーを日本に紹介、小説がなんとか賞の候補にとかとかと か……。噂を聞くたびに、驚かされ続けました。

でも、大阪の常宿としてうちの布団に寝る彼女からは、そんな自慢は一切ありませんでした。
多分、うちに来ると時は、おそらく何か東京でキツい事があって、
温泉に浸かりにくるよな気持ちだったのか、近所の仔猫が、とか近所のおばあちゃんが、等の
癒しの話題ばかりで、仕事の話などはあまりしてくれませんでした。
ミーハーな私は、清志郎にインタビューしたらどやったん??とかムッサききたかったけど…。

学校から、京都、関西から東京、そして世界へ…
もう次の噂聞いても、驚かへんで!と思ってたのに、やっぱり最期も驚かせたまま、光速スピードで星の彼方に逝った切石。

もったいない、と思いました。
はちきれボディの美貌と、老賢人の頭脳と、千人力の行動力と、極妻のような度胸。
音楽を筆頭に膨大な知識と、ジャンベやアコーディオン、切り絵の技術…。
最後に泊まりに来た時には分厚いスペイン語辞書で猛勉強して
だいぶインタビューできるようになったわ〜ゆうてたのに。

きっと、彼女自身にも理解出来ない程の強烈なエネルギーが、
いつか彼女の心と肉体を超えてしまったのかも知れません。

そんな彼女の著作集を、今6人の仲間と作っています。
切石とゆう大きな大きな穴がなければ、
繋がらなかったかもしれない仲間です。

なにしろ初めてのゼロから出版。
想像以上のシビアな事実、そして、恥ずかしながらの資金不足…。
そんな紆余曲折頭打ちにめげそうになります。
でも、遺された文章を見ては、そんな地球の果てまで、
そんな音楽の深いところまで、到達してたのか…と
感嘆と共に励まされます。


そんな遠い星からの淡い光に進路を取りながら
私らの乗り込んだ舟は、くらーい海を進んでいきます。

おもかじいっぱい。

この舟の追い風になってくれる方を募集しております。
本の進行具合等はこちらです。